吉谷彩子 「私の方がお芝居できるはず」子役時代から一変、オーディションに落ち続ける日々も救われた恩師の言葉とは?
2025.1.20 10:50「自信がすごくあった時期があって、小さいころからお芝居やっていたから、なんで自分より経験してない子が売れるんだろうって思ったこともあったし、“私の方がお芝居できるはず”って思うこともホントにあった」と赤裸々に語る吉谷。「もう辞めた方がいいなって思ったとき、いっぱいありました」と高校生になると俳優としての道を辞める方向も考えたのだとか。
それでも辞めずに踏みとどまったのは、「すごいきっかけの言葉があったんですけど、それがホントにアフリカに関係ある」と、ある人物の影響だという。その人は富永卓二氏。吉谷がアフリカで撮影したドラマ『アフリカポレポレ』の監督であり、『北の国から』、『オレゴンからの愛』など、80年代の伝説的ドラマの演出を手掛けた人物だ。
撮影が終わった後も連絡を取り合っていたが、吉谷が高校生のころに富永氏は舌下腺がんを患い入院。お見舞いのため病室を訪れた吉谷は、「“お仕事辞めたいな”とか、そういう相談もしていた」と話す。悩んでいた吉谷に富永氏は「お前は地道にやっていくんだ」、「なんでそんなのもわかんないんだ」などの声をかけたというが、それらの言葉はあまり響かなかったよう。しかし、「それでまあ“今日帰ります”って言って帰ろうとしたら、“おい”って言われて、“頑張れ”って言われたんですよ」と続ける。この言葉こそ、吉谷の人生を変えるものだった。
「それが、ね。別にね、なんか。好きじゃなかったんです、“頑張れ”って言葉。そんな皆に言われなくても頑張っているのに、“自分が一番わかってるよ”って思ってて」と少し涙声になりながら話すと、「その3日後かな。富永監督が亡くなっちゃって」と言葉を続ける。
当時の富永氏は舌下腺がんのため、言葉もうまく話せない状態。「なんか“頑張れ”って言葉、嫌いだったけど、きっと、監督は、精一杯、振り絞った言葉だったんですよね。いっぱい語ったら聞こえないだろうから、きっとその“頑張れ”の中に、色んな感情がきっと入ってて。そのときに背中で聞いた、“頑張れ”ってただの言葉だったけど、あれが忘れられなくて」という。
監督の短い言葉は、“お前頑張るんだろ”、そう言ってくれているように感じたという。その言葉を胸に抱き、これまで走り抜けてきた。「もしかしたら、仕事辞めていたかもしれないし、今ここにいるのが奇跡みたい」と、最後には笑みを浮かべ旅を続けた。