大泉洋 “人を不安にさせるプロ”「水どう」から駆け抜けてきた25年 自身の原点を振り返る

2025.1.14 07:30

そもそもオーストラリアに縁があったという大泉。「ある意味、僕が仕事ではじめていった海外がオーストラリアだったんですよ。『水曜どうでしょう』で、大学生の時に来たのがオーストラリアだったんです」と振り返る。1997年放送の企画で、オーストラリアを訪問。北はダーウィンから南はアデレードまで、約3,700kmを縦断した。

沿岸部に都市が集中しているオーストラリアで、人よりもカンガルーの方が多い、中央部の荒野を旅した企画で、「そん時はね本当…オーストラリアってのはもうなんか、なんて何もない国だろうと思いましたよ」と懐かし気に話す。「なんたって大学生ですから、わけもわからず海外来て、テンション上がってる感じですかね。『お~海外だあ』って。『此処がオーストラリアか』みたいな」。ただ当時はロケをしながらも、将来への漠然とした不安を抱えていたのだとか。

ハイテンションでオーストラリアをめぐるなかでも、内心には「これから、どう生きていこう」そんな思いがあったという。「就職活動はもうなんか、今はいいやみたいな。とりあえず『水曜どうでしょう』が楽しいから、もうちょっと続けようかなみたいな」といった気持ちであったという。

そんな状況で向かった初海外ロケから間もなく、腹を決めた。「ありがたいことに、どんどん仕事はうまく行っちゃうわけですね。違うテレビ局でも番組がはじまる。ラジオもはじまる。北海道では本当に相当知られちゃったから、今さら俺どこかの会社に履歴書を書いて持っていくとか非常に恥ずかしいみたいな」といい、決断をしたのは26歳の時。「ダメだ、これで食っていくしかない」表現者として生きていく決意を固めたのだとか。

全力で駆け抜けてきた四半世紀。今や大泉を知らない人を見つけることの方が難しい。そんな自身の本領について聞かれると、「なんかでも、あれなんでしょうね。大泉洋さんっていう人は、人を不安にさせるプロなんじゃないかと思って、それで思わず見ちゃうんじゃないかと思うんですよね。『なんかやらかしそう!』っていうね」とコメントを残した。

写真提供:(C)日テレ

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