野呂佳代「本当に辛かった」念願のAKBメンバーデビューも、その後の“暗黒アイドル時代”を涙の告白
2024.12.20 12:20その後、SDN48は2年半で解散。同時に野呂のアイドル人生も幕を閉じ、俳優への道も遠のいた。AKBグループの看板がなくなっても、なんとか芸能界にしがみつきたいと受けた仕事は、俳優の仕事とかけはなれたダイエット企画。1か月で4㎏痩せるも、スタッフからはマイナス10㎏を求められ、さらに「もうちょっと痩せたらデートしてもいいのにな」といった失礼な言葉をかけられ、限界を感じた野呂は、その場を立ち去ったという。
一緒にラジオをやっていたスタッフに野呂が送ったメールには“痩せられないのが恥ずかしいけど心も折れて、誰からも認めてもらえなかった。やっぱり歌とかで世に出たかったな”と書いてあった。
そして野呂が“腐り度マックス”だったという仕事が、アイドル時代にはなかったパチンコ営業。パチンコ屋を1日5軒まわり台を紹介。パチンコ屋やお客さんには申し訳ない気持ちになるが、どうしてもやる気を出せなかった野呂。「やりたいこととは全然違うな、みたいな感じで。ここからどんな未来があるのかが見えなかったです、まったく」と当時を振り返った。
30歳手前でどん底の時期を迎えた野呂。「お母さんはやっぱ、もう辞めてさ、みたいな。なんか好きなことやればみたいな」と声をかけてくれたことを明かした。
「めちゃくちゃ辛いんです。本当に辛かったんです」と当時の苦しかった心境を振り返った野呂は「本当に奮闘している中で、お母さんが一番支えてくれたのがうれしくて」と、ずっと応援してくれた母を思い出して涙を流した。