野呂佳代「本当に辛かった」念願のAKBメンバーデビューも、その後の“暗黒アイドル時代”を涙の告白
2024.12.20 12:20まずデビュー後すぐの握手会では、5歳年下で同期の大島優子との圧倒的な人気の格差を目の当たりに。さらに、秋元康から思いもしない提案が。それは7歳年下の同期、佐藤夏希と漫才コンビを結成すること。俳優を目指しアイドルになったら“お笑い担当”に。戸惑いを隠せない野呂だったが、秋元康を信じ、劇場の幕間で漫才を披露していた。
しかし、アイドルのイメージを捨てた自虐ネタをやってもあまり受けず、内心モヤモヤした気持ちのまま、お笑いをこなしていたという野呂。本心ではやりたくないお笑いをやらされていることに対して1人の時には涙し、途方に暮れていたという。
2009年、AKB48は初のシングル売り上げ1位を記録するなど世間が大注目するアイドルグループに急成長。この人気にあやかり、野呂のモチベーションも上がっていく…はずだったのだが、奈落の底に突き落とされる、ある出来事が起きる。
勢いに乗るAKBから、まさかの新しいグループSDN48への移籍勧告。SDNは通常の48グループとは少し異なり、AKBで結果を残せず20歳を越えたメンバーや、AKBではない外部のタレントもかき集めた、いわば後がないアイドルたちによる崖っぷちのグループ。
それでもキャプテンを任されたため、初めはなんとかモチベーションを保っていた。しかしスタッフから「今回衣装の露出が高いから細い子中心で行くわ」と、キャプテンなのに幾度となく選抜漏れ。野呂は、仕事に対するやる気も無くしていく。公演は毎週土曜の夜のみ。ずっと暇で、26歳の当時は休みに家族で海に出かけたりしていた。その後、公演に出かける野呂を母親は笑顔で「行ってらっしゃい」と見送っていたという。
野呂は当時の心境について「すごい病むじゃないですか。応援はしてますけど、ちょっとやっぱり」と、テレビをつけるとAKBが出ていたため、テレビを観られなくなり、代わりに映画『セックス・アンド・ザ・シティ』ばかり観ていたことを明かした。