【先週読まれた人気記事】明石家さんま 芸人がアイドルのただの引き立て役だった時代 「お前はスターになる男だろ」と背中を押してくれた人物とは
2024.12.14 11:10明石家さんまの半生を事実に基づいて描くスペシャルドラマが12月1日放送の『誰も知らない明石家さんま』で放送。さんまの人生で常に共にあった“ある言葉”を贈られた瞬間が、再現ドラマで描かれた。
ある日、師匠の訃報を電話で知らされたさんま(さんま役:草彅剛)。「寝てるみたいに?それだったらいいよ。苦しんでなかったらそれでいいよ」と会話を終えたさんまは、どこか寂しげな表情で、“俺の大好きな師匠が旅立った。面白いまんま、笑いながら、誰にも迷惑かけず、カッコ良く人生の舞台に幕を引いた。あの人らしいラストだと思う”と心の声で思いを吐露。
1979年大阪。さんまが“人生で1番忙しかった時期かもしれない”と思い返した当時の、テレビのレギュラー番組は8本。ゲスト出演まで含めたらキリがなく、さらにはラジオに舞台、営業と、365日寝る間も惜しんでがむしゃらに働き続けていた。その中には、朝6時に収録が終わり、スタッフからの「ゆっくり休んで」との声がけに、「もう次の仕事なんですよ。次の現場、6時半入りなんです。テレビ楽しんで、燃え尽きるまでやりたいんですよ」と満面の笑みで返したさんまが、走り去る日もあった。
移動時間が唯一の休息の時間だったというさんまだが、“それでも構わない。俺はテレビの世界で天下を取る。そのためにはどんな努力もいとわなかった”と回想。1980年明け、吉本興業が東京連絡所を開設し、大阪で1番勢いがあったさんまが、吉本東京事務所のタレント第1号に。東京のテレビにも少しずつ呼ばれるようになっていったが、この頃のテレビの主流は、歌番組やアイドル番組。芸人の立ち位置はまだまだ低く、芸人はアイドルのただの引き立て役だった。