野田クリスタル 「友達を“素人”、先生を“回し”」 芸人デビューでひねくれすぎた高校時代を告白

2024.10.28 06:30

「よくアナザースカイまで連れてきてくれたよ」そう言って席につくと、当時の野田について話し始めるふたり。「もうホントにもう、生意気子坊主。ずっとにらみつけてて、全員のことを“つまんねえ”って思ってるヤツでしたよ」とざっくばらんに話す。野田も昔を懐かしみつつ、「(ライブ後の)アンケートがボロクソ書かれてる方が楽しいみたいになってた。全員トガッてました。でも、トガッて売れないとかっていう人たちを見て、どんどん反面教師になって、成長していった感じっすよね」と返した。

VTRの流れていたスタジオでも野田は、「トガっている人に憧れる芸人が売れるんすよ、実はトガってる芸人は売れない」とコメント。今田もこれに賛成なようで、「原液やからね。やっぱり薄めた方がおいしい」とうなずく。めちゃくちゃな漫才をやっていると言われ、ある種の漫才論争も起こした、野田の芸風。しかし野田から言わせれば、自分たちの芸は「ちゃんとお客さんに伝わる程度の無茶苦茶さ」。「モダンタイムスからしたら、正統派漫才ですよ」と話し今田を笑わせた。

中野の劇場時代では、よく行動をともにしていた野田とモダンタイムス。しかし2007年、マジカルラブリ―結成後は、よしもとの劇場に出るようになった。「(吉本は)今もですけど、外のライブ出ちゃいけないんですよ。基本」「だからモダンタイムスの出るライブに出られなかった」と言い、徐々に疎遠になってしまったのだとか。しかし一度だけ、川崎に野田から電話がかかってきたという。マジカルラブリ―が伸び悩み、野田たちが目標としていたM-1グランプリが、一度終わってしまった時期。野田はモダンタイムスに、ライブに出させてくれないかと聞いたという。モダンタイムスの2人も、「このとき、相当悩んでたなって思ってたけど」と、野田の追い詰められている雰囲気を感じとっていた。

「未来がなさすぎて。M-1も終わったんで。でもなんか、お笑い辞めるって発想なくないですか」当時に思いをはせながら、モダンタイムスと話す野田。「辞めるって発想がないから、マジで人生どうしよう、“詰んでるなこれ”ってなった」と続ける。そんな状況だったマジカルラブリ―に転機が訪れたのは、大宮でライブに出始めたころのこと。2014年にオープンした、埼玉県の『大宮ラクーンよしもと劇場』に加入すると、新宿から大宮へ、追われるように拠点を変えた。都落ちとも揶揄(やゆ)され、本人たちも、そう受け止めていたというが、「大宮で覚悟決まりましたね」と話す。

としみつ「大宮に行ったことがムカついたってこと?」と聞かれると野田は、「飯が食え出したからムカついたんでしょうね」「お偉いさんにペコペコしたら、お金もらえるようになって飯食えるのが、ムカついてきて、絶対賞レース勝とうと思いましたね」と答えた。そしてその後、2010年を境に一度終了していたM-1グランプリは、2015年に復活。マジカルラブリ―は2020年、悲願の優勝を果たした。

これからのことについて野田は、「M-1優勝がゴールだったでしょ、最初は。でもゴールにはならなかったですからね。行ってみたらまだあった。高い山があった」と話す。モダンタイムスに人生のゴールについて、「芸人で居続ける、みたいなことでしょ」と言われると、「芸人で居続けることがゴールか」と、納得気にうなずいた。「もしゴールを決めれるとしたら、芸人を辞めないこと」。今後も生涯現役で芸人を続ける、その覚悟をあらたにした。

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写真提供:(C)日テレ

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