ダンプ松本の豪快人生!事実は小説より奇なり?『極悪女王』本編では描ききれなかった”本当にあった”壮絶仰天エピソードの数々
2024.10.25 11:15Netflixにて独占配信中のシリーズ『極悪女王』。〝極悪女王〟の舞台となっている1980年代、コンプラや〇〇ハラなどがほとんどない時代に、アイドル的人気を博していたクラッシュギャルズの敵役・ダンプ松本の今では考えられない壮絶なリング外での生活も話題になっている。
【圧倒的な破天荒さ】
〇短刀をリングに持ち込む
松永高司社長(当時)に、「リング上で殺しても刑務所に入らないんですよね?」と確認をとったうえで、本物のドス(短刀)をリング上に持ち込んだ。敵陣の赤コーナーに刺したら、セコンド陣たちが真っ青。テレビ中継関係者から、「銃刀法違反で捕まります」と泣きつかれた。
〇敗者髪切りデスマッチで番組打ち切り
85年8月28日、大阪城ホールでおこなわれた敗者髪切りデスマッチで、長与千種が大流血、丸坊主、ダンプの凶器攻撃で陰惨シーンが連続。関西で中継番組をレギュラー放送していた関西テレビ(現・カンテレ)に苦情が殺到したため、急遽放送を打ち切り。月1の深夜枠から、週1昼のレギュラー枠に昇格した直後だっただけに、浪速のファンはがっかり。
〇24歳でマックス年収6,000万円、月給580万円
ファイトマネーに加えてバラエティ番組やドラマ、CM、雑誌、レコードほか、有名芸能人として多忙を極めた24歳のとき、年収は6,000万円に達した。最高月収は580万円。ダンプが勝利した敗者髪切りデスマッチ(85年8月28日、大阪城ホール)。1試合のギャラはなんと、300万円だった。
【圧倒的な影響力】
〇フジテレビ系の女子プロレス中継が月に8度も
絶頂期の85年、首都圏では月曜夜のレギュラー放送に加え、土曜日と日曜日の夕方にも隔週オンエア。月に8度もフジテレビで放送された。85年8月22日の日本武道館決戦は、特番でゴールデンタイムに放映されて、15.1%の高視聴率をマーク。同年10月に『女子プロレスを1000倍過激に楽しむ方法』、翌86年正月に『女子プロレス お正月だって過激だよ!』の特番も、ゴールデンで90分にわたって放送された。
〇サイン会に3,000人が殺到して中止に
引退表明をしたあと、極悪同盟初のサイン会をデパートの屋上でやることになったが、3,000 人ほどが殺到。会場に入りきれなくなり、急きょ中止になるほどだった。
〇グッズ売り上げ1,000万円
地方では、グッズ売り上げだけで1大会1,000万円に達したこともあった。しかし、極悪同盟のグッズではなく、大半がクラッシュ・ギャルズだった。
【圧倒的なバッシング】
〇全ての乗り物で嫌がらせを受ける
ファイトマネーで新車のフェアレディ Z を350万で購入するも、初めて運転して道場に行った日に、10円玉でキズをつけられた。しかも、横線で修理代が高くつく方法だった。翌日、バイクで行くとタイヤをパンクさせられた。自転車で行くとサドルを盗まれ、タクシーを捕まえようとも、「ダンプである」ことを理由に乗車拒否された。
〇ストーカー殺人未遂に
東京・下目黒の道場付近で、挙動がおかしい若い男性が電信柱の陰などに隠れながら、極悪同盟のメンバーをストーキングしていた。その異常性を察知してメンバー自らが捕獲。警察に連行。容疑者は、「隙があれば殺そうと思った」と自白した。
〇毎日届くカミソリ入りの手紙
毎日のように届けられたのは、カミソリ入りの手紙。どこから開封しても手をケガするように、四方にカミソリが仕込まれているほど緻密に設計されていた。
〇600人のファンが大型バスを揺らす
85年8月28日、大阪城ホールでおこなわれた敗者髪切りデスマッチを終えたあと、興奮したファンが移動用の大型バスを囲み、揺らし始めた。その数およそ600人。全日本女子プロレス興業のスタッフは、極悪同盟の宿泊先を急きょ変更し、ビジネスホテルからアップグレード。結果的に得をしたと喜んでいた。
(その他トリビアメモ)
〇ダンプ松本は、77年4月、実は全日本女子プロレス興業のオーディションに一度不合格となり、79年1月に合格している。
ダンプ松本は本当に全日本女子プロレス興業の営業部で働いたことがある。79年末、長い練習生の末、営業部に転属。宣伝カーのドライバーをしていた。
〇実はダンプ松本と長与千種の髪切りデスマッチは2回行われている。作品でも描かれている 85 年8月大阪城ホールで行われた敗者髪切りデスマッチと、86年11月大阪城ホールで行われた敗者髪切りデスマッチの再戦。この時、ダンプ松本は長与千種に大敗して、丸坊主になった。
〇80年代は空前のプロレスブーム。84年5月、女子プロレスを題材にしたTBS系連続ドラマ『輝きたいの』が放映された。また 85年1月にはクラッシュ・ギャルズが本人役でレギュラー出演した TBS 系連続ドラマ『毎度おさわがせします』が放映開始。挿入歌は、クラッシュ2枚目のシングル『嵐の伝説」。85年8月には『夏・体験物語』(TBS 系)に極悪同盟がレギュラー出演。日本人悪役女子プロレスラーの連ドラは史上初。さらに 85年12月TBS系連ドラ『毎度おさわがせします』の第2シーズンに、極悪同盟がレギュラー出演。
〇かつて女子プロレスは地上派放送されていた。1968年に全日本女子プロレスの試合をフジテレビが日曜日に放送。その後、不定期に放送されるように。1977年、ビューティ・ペアによる女子プロレスブーム到来し、ゴールデンタイムにレギュラー番組『女子プロレス・真赤な青春』がスタート、このブームをきっかけに地方局も追随するも、ビューティ・ペア解散により1979年ゴールデンタイムから撤退。以降、日曜午後に月2回の中継を継続。 80年代にクラッシュ・ギャルズが再び女子プロブームに火をつけ、84年に「全日本女子プロレス中継」が5年ぶりにゴールデンタイムで復活した。視聴率は20%を超えることも。
〇当時全女の女子プロレスラーたちは年間300日くらい試合があり、バスの中で洗濯物を干していた。
〇ダンプ松本は24歳のとき年収5,000万円くらい。一番もらってたときで6,000万円超え。車は一括払いで購入したのは事実?
〇ダンプ松本がリング外で一般人に受けていた嫌がらせは数しれない。現金盗難、新車への傷つけ、タイヤに釘を刺されるなど。タクシー乗車拒否もあった。(ソース)
〇85年のダンプ松本vs長与千種の髪切りデスマッチ後には、500-600人がダンプ松本が乗車したバスを囲みダンプを罵った。