近藤真彦 単独インタビュー ジャニーさんから言われた「ユーは畳一畳あれば大丈夫」の意味は?

2022.10.29 08:00

歌手、俳優、カーレーサーと多数の顔を持つ近藤真彦に、entax取材班が単独インタビュー。懐かしい歌番組での思い出やジャニーさんからの金言、後輩たちへのメッセージなどを聞いた。

■歌番組ではオートバイに乗って360度回りながら歌った

――昭和時代の歌番組はセットや構成がすごかったですよね。新幹線のホームで歌うなど。

近藤 そうそう。めちゃくちゃでした。でも、楽しかったよね。あの頃って、テレビ局の歌番組も、一人ひとりのアーティストに対して、相当豪華なセットをつくっていましたよね。バブルだったんだよ、きっと。歌番組へいくと一曲ごとに大道具さんがセットを替えていて、すごかった。だから、すごいことをやらされていましたけど、今思えば楽しかったかなと思います。

――特にどの曲の何のセットが印象に残っていますか?

近藤 たぶん『ハイティーン・ブギ』のとき、オートバイに乗りながら360度回されたことあるんだよね(笑)。下を向いて歌うなんてひどいでしょ。そんなこともあったし、まあ、色んなセットがあったな。でも、僕はいつもステージで言っているんですが、気持ちの中ではちょっと他のアイドルとは違うよ、という気でいたんですよ。周りから見たら全然変わらないんですけど、ちょっと僕は突っ張ってますから、男らしいから、と背伸びをしていたので。歌番組でバーのカウンターのセットが置いてあったら「ああいうので歌いたいな。俺は大人だし男だからな」と思っていたんだけど、実際は「マッチはこっちです」って大きなスニーカーが置いてあって「この中で歌ってください」なんて言われて(笑)。バーみたいなセットで歌いたかったんですよね。今はもう、イヤでもそういうセットで歌わされるから。

――1982年公開の映画『ハイティーン・ブギ』では武田久美子さん演じる桃子とのキスシーンが話題になりましたよね。挿入歌も近藤さんが歌う『MOMOKO』で。

近藤 あの頃映画を立て続けに撮って、1本目『青春グラフィティ スニーカーぶる〜す』(1981年)、2本目『ブルージーンズ メモリー』(同年)はどちらも男の友情がテーマだったんですよ。たのきんトリオの友情、みたいな。それで3本目の『ハイティーン・ブギ』(1982年)は恋愛絡みだったんですよ。

――武田久美子さんとのキスシーンがあって、ファンは大変な騒ぎになりましたよね。

近藤 そう。彼女の役名が「桃子」で挿入歌も『MOMOKO』。その歌は今も歌っているんですけれど、今『MOMOKO』を聴いているファンは、どう思っているのか聞いてみたいですね。あの頃は「何よこの曲!」だったかもしれないけど、今は「あぁ、懐かしい。この曲にやきもち焼いたな」なのか。

■ジャニーさんからは「ユーは畳一畳あれば大丈夫」と言われた

――当時のジャニー喜多川さんの教えで印象に残っていることはありますか?

近藤 僕は優秀なジャニーズJr.じゃなかったので、踊りの練習が苦手だったんですよ。でも、一応踊らなくちゃいけないから一生懸命やったんですけど、途中で挫折して。それで歌をがんばろうと思ってジャニーさんに相談したら「ユーは大丈夫だよ。歌でいけばいいんだから。ユーは畳一畳あれば大丈夫なんだから」って言われて(笑)。ひどいでしょ。でも、とにかくちゃんと熱いメッセージで歌を歌えとは言われましたね。踊らない分ね。僕は、年上の先輩だと西城秀樹さんがすごく好きだったので、情熱的な感じで歌いたくて。秀樹さんに憧れていました。

――コンサート中に思い出すジャニーさんの言葉はありますか?

近藤 これは、ジャニーズ事務所に所属していた人ならみんな教わったと思うんだけど、お客さんを見るのに下を見ないで、とにかく上を見ろと。僕はジャニーさんには、2階席までの会場でも、3階を見るような感じで2階席を見なさいというのは教わっているので、今でも2階席の後ろの方のペンライトを見ると、あ、ここじゃダメなんだ、もうちょっと上を見なくちゃと思うことありますよね。

――それはなぜだったのでしょうか?

近藤 ジャニーさんが言うには、2階のお客さんから見ると、僕が2階席を見ても自分を見ているような感じがしないんだって。だけど目線を高くすると「あ、見てくれてる」って思うらしい。ジャニーさんはリハーサルのとき、常に客席の上の方をグルグルと回っていたからね。

■後輩たちには“今”を全力でがんばってほしい

――今年は、後輩の錦織一清さんと植草克秀さんが2人でディナーショーを開催して少年隊の歌を披露されたり、男闘呼組が再結成してライブを行うといった動きがありました。先輩として、後輩たちの活躍にどのような思いがありますか?

近藤 ジャニーズ事務所に今いる後輩たちもそうだし、独立した後輩たちもそうだけど、ほぼほぼ僕には後輩しかいないわけですよね。だから後輩たちには……何だろうな……とにかく“今”をがんばろうと。卒業した人たちも今をがんばる、ジャニーズ事務所にいる子たちも今をがんばる。そうすると長く応援してもらえるんじゃないかな、と思うんですよね。自分で言うのも何ですけど、僕は40周年を過ぎても本当にたくさんのファンが応援してくれているので、そうやって長く応援してもらえるように今を全力でがんばってほしいなと思いますね。

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【近藤真彦Profile】
1964年生まれ。神奈川県出身。1979年TBSのテレビドラマ『3年B組金八先生』の生徒・星野清役でデビュー。1980年『スニーカーぶる〜す』でソロ歌手としてデビュー。1987年には『愚か者』で第29回日本レコード大賞を受賞した。レーサーとしても活躍し、2000年からレーシングチームの監督兼代表取締役社長を務める。

【Information】
・単独ライブツアー『Masahiko Kondo2022 Live Tour「M5K8」Fifty-Eight』2022年9月3日〜11月20日
・ディナーショー『Masahiko Kondo Harbor Town Dinner Show 2022』2022年12月12日〜12月27日
・合同ライブツアー『MasahikoとYoshio Live Tour 2023』2023年1月5日〜2月5日
https://www.curtaincall.tokyo/mk_program/

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