<単独取材>近藤真彦が山下達郎から受けたアドバイス「マッチにしかできない歌い方がある」

2022.10.30 13:30

芸能生活43周年を迎えた近藤真彦に、entax取材班が単独インタビュー。アーティストとしてのこだわりやデビュー当時からの変化、そしてファンへの思いを聞いた。

■「いつまでもマッチらしいね」と言われたい

――芸能活動も43年になりましたが、アーティスト・近藤真彦としてのこだわりや譲れないものはありますか?

近藤 自分で意識しちゃいけないと思っているんですけど、歌の表現ですかね。僕は昔、(山下)達郎さんに「今日レコーディングがあって上手く歌えなかったんです」と報告したら、「お前の言っていることはよくわかるけど、お前しかできない、近藤真彦の歌い方があるんだ」と言われたんです。何かテクニックを使って上手いと思われるようにしょうとかそういう小細工をせずに、デビュー当時と同じように真っすぐにその曲を歌っていればいいのかなと思ったんですよね。だから、「マッチ歌が上手くなったね」と思われるようなことは期待していないです。「いつまでもマッチらしいね」と言われるようでいいかなと思っているんです。

――言葉で大事にしている座右の銘みたいなものはありますか?

近藤 座右の銘というほどではないんだけど、「ブレない」ということは大切にしています。右に倒れたり左に倒れたりしないように、と思って40年以上やってきたけど、ブレないのがいちばん大変なことで。「ブレない=わがまま」と捉えられることもあるし、逆に「ブレない=自分を守る」ということでもあるし。色んなことを言われながらもブレずに来たのがよかったのなと自分では思っています。

■43歳で子どもができて人生の転換期を迎えた

――アーティスト、俳優、カーレーシングと活動が多岐に渡りますが、デビュー当時からご自身がいちばん変わったな、と思うところは何ですか?

近藤 仕事は16歳くらいからがむしゃらにやってきているので、それほど変わったことはないんだけど、43歳のときに子どもができたんですよ。うちの奥さんは1つ下なので42歳で子どもができたわけなんだけど、僕の母が亡くなったのも42歳だったんですよ。42歳で亡くなる人もいれば、42歳で新しい命を授かる人もいる。そこで自分の気持ちがすごく変わったかな。今までは本当にがむしゃらに、自分が楽しければ、夫婦が楽しければ、という気持ちがあったんだけど、そこに子どもが入ってきたので、やっと「大人にならなきゃ」って思ったんですよね。43歳では遅いんですけれども(笑)。

――人生の転換期だったんですね。

近藤 だと思いますね。

――他にも今までの歩みの中で変化した部分があれば教えてください。

近藤 やっぱり、カーレースと歌の両立……昔からよく「二足のわらじ」と言われたんですけど、若い頃にはレースに行くときにはレースのスイッチを押して、歌のスイッチを消していたんですね。逆に歌のときにはレースのスイッチを消して、歌のスイッチを入れて家を出て行くという気持ちが強かったんだけど、50歳を過ぎた頃から、どっちもマッチなんだ、どっちも近藤真彦なんだ、という気持ちになれて、(そこからは)レース場でコンサートの曲も聴けるし、コンサートの会場で次のレースのメカニックな話を電話で聞いたりもできるようになりました。昔は「ちょっとここ(コンサート会場)に電話して来ないで」って言っちゃったりしていたのが、今はもうOKという感じ。

■負けず嫌いだからやめられない

――今まで43年間芸能活動を続けてこられた中で、「やめたい」と思ったことってありますか?

近藤 あー、それはしょっちゅう。ただ、やめられないのはわかっているけど。漠然と「やめたいな」と思ったことは、レースもそうだし、歌もそうだし、そのくらいいつも何か壁にぶち当たってきているから。レースも何十年やっているかわからないけど、帰りの飛行機の中で毎回「あぁ、来年はもう絶対にやめよう」と思うんだよね。やめられないのはわかっているけど。

――それでもやめないで続けようと近藤さんをかき立てるものは何ですか?

近藤 それはね、今の時代にかっこよくも何ともないんだけど、ちょっと負けず嫌いなところがある。挫折した=負け、みたいな感覚があるから、いやいや俺は負けないよ、という気持ちの方が強くてがんばれているから、負けず嫌いなのかもしれないな。今の時代は負けず嫌いなんて言ったらかっこ悪いんだよね? なんか根性出してがんばっているみたいな感じで。

■僕のファンはすごく“熱い”

――40年以上支え続けてくれているファンに対して、どんな思いがありますか?

近藤 僕のファンの方は、すごく熱いんですよ。アーティストにファンが似ちゃうんですかね? それとも似ている人が集まるんですかね? こちらがちょっと強気なこと言っても跳ね返ってくるし、ちょっと弱ってると励ましてくれる。だからちょっと似ているのかもしれない。熱いです、僕のファンは。

――ファンクラブの中では配信やグループチャットなどSNSによる交流もされているそうですね。

近藤 そういうやり方は、よっちゃん(野村義男)に教わったんですよ。マッチは時代遅れだねって言われて(笑)。今の時代はどんどん、こういうのをやっていかなくちゃダメだよって。それで義男くんの配信などをちょっと見せてもらって、ファンの方と割と近い感じでやり取りできているのが羨ましいなと思ってね。今までは、そういうことがずっとできなかったし、そんな時代でもなかったので。だから今はなるべくファンの方と話をするようにしているんですけれど、まだまだ僕は甘いですね。もっとたくさん発信している方も多いですし、もっとがんばらなくちゃいけないですよね。誰もがやっているように、自分でゴルフや釣りに行ったらその写真を上げたりはしているんですけどね。それでもファンは喜んでくれます。

■代表作になるような映画に出るのが夢

――今後挑戦してみたいことはありますか?

近藤 今後ですか? 今は手いっぱいかな。何か新しいことを始めようとすると時間も必要だし。ただね、大昔には僕も映画に出させてもらっていたので、死ぬまでと言ったら大げさなんだけど、もう1回代表作になるような映画に出たいな、というのは夢ですね。夢ですよ、これは。そんなに簡単にできるもんじゃないというのはわかっているので。「マッチが60歳くらいのときにやったあの映画よかったよね」って言われるような映画に出たいな、って。主役じゃなくてもいいから出たいです。

――どんな役柄がいいでしょうか。

近藤 何ですかね。役というより映画を観て「あいついい年のとり方したな」って言ってもらえるような役だったらいいなと。それは、悪人がいいのかそうじゃない方がいいのかわからないけど。でも、ちょっとやっぱり男らしいギトギトした役をやりたいですね。

近藤真彦インタビュー
「ライブではマスク越しにファンの気持ちが伝わる」編はこちら
ジャニーさんから言われた「ユーは畳一畳あれば大丈夫」の意味は?編はこちら

【近藤真彦Profile】
1964年生まれ。神奈川県出身。1979年TBSのテレビドラマ『3年B組金八先生』の生徒・星野清役でデビュー。1980年『スニーカーぶる〜す』でソロ歌手としてデビュー。1987年には『愚か者』で第29回日本レコード大賞を受賞した。レーサーとしても活躍し、2000年からレーシングチームの監督兼代表取締役社長を務める。

【Information】
・単独ライブツアー『Masahiko Kondo2022 Live Tour「M5K8」Fifty-Eight』2022年9月3日〜11月20日
・ディナーショー『Masahiko Kondo Harbor Town Dinner Show 2022』2022年12月12日〜12月27日
・合同ライブツアー『MasahikoとYoshio Live Tour 2023』2023年1月5日〜2月5日
https://www.curtaincall.tokyo/mk_program/

クオカードプレゼントキャンペーン2024

  • Youtube
  • Youtube

SNS

featured

text_newarticles

categories